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【おたよりコラム】みお家の年末年始

 2025年がはじまりましたが、もう30年ぐらい前の話。小学生だった私の年末は習っていた習字教室でかいた書き初めをFAXで愛知県にいるおじいちゃんおばあちゃんに送ることからはじまっていた。あとは年末というと、年賀状をつくること。小学生の3年生ぐらいから家族ではなく、自分の年賀状をつくるようになっていた。使っていたのはプリントゴッコ。ピカッと光ったところに細かい穴があき、そこにインクをぐっと押し付けて完成する。これが楽しくてならなかった。楽しい楽しい工作?実験?の時間だった。年賀状はちょっと高学年でさつまいもでつくるハンコに挑戦したこともあった。いまだに当時自分で作った年賀状のデザインを覚えているのだから、ものすごい達成感があったのだと思う。そして、学校が終わると、クリスマスがくる。クリスマスが近くなると以前のしばふハウスにだしていた当時の私よりも大きなツリーの飾り付けを家族みんなでやっていた。毎年みんなが好きなオーナメントを買い足していくのも、おもしろかった。私は音符や楽器のオーナメントを買うことにはまっていた。クリスマスというと、家から歩いて2、3分のところに、ものすごくイルミネーションにこだわっているお家があった。夜暗くなってからみんなでお出かけして、明るく輝くお家を見に行っていたのも懐かしい。クリスマスが終わると愛知の両親の実家に車でいくのが恒例だった。まずは豊橋の母方のおじいちゃんおばあちゃんの家にいくと、送っていた書き初めのFAXが飾られていて、それを褒めてもらったのを覚えている。そして、三ヶ日みかんを食べていた。自分のみかんのむき方はおじいちゃんに教わった方法。いまだに覚えている。そして、大晦日より1日か2日前ぐらいで、名古屋の父方のおじいちゃんおばあちゃんのお家へ。そこで年を越すのがいつもの流れだった。いとこなどが集まる中で練習しているピアノの曲を順番に演奏していたのを覚えている。そのあとは、ソファーのクッションをはずして、秘密基地をつくって遊び、年越しそばをたべ、年が明けると近くの天白川の土手に凧揚げをしにいく。そして1月3日か4日ぐらいに横浜の家に帰る。そして届いている年賀状をポストにとりに行き、自分宛に来てないか仕分ける。そこまでがセットだった。あとは新聞にある大きなクロスワードを解いたり、家族で毎年1回だけ百人一首をやっていた。あとは年末年始とか関係なく、家の前でひたすらボールをけって遊んでいた。

 お決まりの年末年始の思い出。すらすらと書き出せるぐらいには、毎年積み重ねたお決まりの出来事だったのだと思う。非日常の中の日常。特別だけど毎年くる特別。幼少期のみおはそんな年末年始を過ごしていた。 それから30年。今も変わらず、年末年始にはお決まりを作るのが好きみたい。しばふハウスをやりはじめてから、お決まりがだんだんと増えてきた。遊びのある年賀状をつくること、干支の絵を描くこと、その年にやりたいこと100こを書き出すこと、1月1日に髪の毛を全部剃って頭をツルツルにすること。こうして当たり前を作ることで、やらなきゃ、と自分が追い込まれることもあるけれど、やることないなぁ、どうしよう、とならずに、いつも通りに年末年始を過ごせているように思う。特別なときほど、やることがきまっているというのは、自分を助けてくれるのかもしれない。学校じゃない学びの場。きっとそれは子どもたちにとって特別で、でも毎週くる日常でもある。そんな場で積み重ねた当たり前は、きっとなにかふとしたときに、子どもたち自信を助けてくれるなにかになっていたらよいなぁと思う。 そんなことをひとりひとり子どもたちの顔を思い浮かべながら、過ごす年末年始も自分にとってお決まりになっているのかもしれない。

三尾 新

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