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【おたよりコラム】最高の学びの場

 小学生の私の土日は、毎日サッカーの練習に行っていた。でも練習は半日。午前か午後のみ。午後の練習で、午前に時間がある時、よく朝ごはんにホットケーキをみんなで作るという家族イベントがあった。このホットケーキを焼くときは、母の料理はお休みの日ということになっていた。作るのは父親の役だった。でもだんだんとわたしが大きくなるにつれ、ホットケーキのミックスに卵や牛乳をいれてかき混ぜるところがわたしの担当になり、焼くのがわたしの担当になり、洗うのもわたしの担当になり、とどんどんやることが増えていった。でもやらされているというより、「混ぜるのやりたい!」「焼くのやりたい!」とひたすらにやりたいやりたいと言った結果で、役割が増えることがうれしくてならなかった。はじめはなんでも「これでいい?」「これくらい?」と牛乳をいれるのも、混ぜ加減も全部きいていた。でもだんだんとホットケーキミックスの袋をみて分量がわかるように、そして、たくさんつくるうちに生地の柔らかさの加減もわかり、たくさん作るうちにひっくり返す焼き加減もわかるようになっていった。何か作れるようになると、他の料理もしたくなる。お米を研ぎごはんを炊くこと、それからはじまり、野菜を洗うこと、ピーラー、包丁、そして火をつかうように。わたしの料理の思い出は楽しいであふれていた。おいしかったのか?と聞かれると、正直わからない。でも楽しかったことは間違いないし、できた!という達成感でいっぱいだったように思う。  結局、大学に入ってすぐ、家を出たのだけど、なんといっても毎日の料理が楽しかった。レシピを調べて作ったことのない料理をつくってみる。そこにひとつふたつ変化をいれて実験してみる。楽しんでいると覚えるのも早い。だんだんとレシピをあまりみずに和風だからなんとなくこれとこれ、といった創作料理が増えていった。キッチンは楽しさ広がる実験場となっていた。ただ実験も行きすぎて、どうしたって食べれないものができあがってしまったり、それこそ、真っ黒焦げを通り越し、完璧なすすを完成させたこともあった。そんな実験場での経験を積んでいくにつれ、こうしたらこうなるんじゃないか。という知識が増えていった。

 工夫して実験してという楽しさもあるが、料理のおもしろさは、完成形をイメージしてから、なにが必要かを考え、どう作業するかを考え、イメージしたものができあがるというところ。そしてだれかにおいしいと喜んでもらえるところだと思う。そして料理の素晴らしいところは、楽しさだけではなく、レシピを読み取る力に計画性や段取り力も磨かれ、自分はこれがつくれる!という自信も与えてくれ、ありがとうといわれる充足感まで身についていくところ。  4泊5日の古民家に泊まって、綺麗なひろいキッチンで作りたい放題久しぶりに料理を作ることができ、作った分だけ、ぱくぱく食べてくれる人がいてこんなことを思った。  子どもをキッチンに立たせるということは、包丁に火にとヒヤヒヤしたり、ぐっしゃーと粉や食材が飛び散りイライラしたり、ひとりでやったほうが楽!そう思う方も多いはず。でも、何年か先、当たり前に「ごはんつくっといたよ」「おなかすいたから勝手になにかつくるわ」というようなたくましい子になるチャンス。もし、時間と心に余裕があるときには、簡単なものから台所に立ち、自分でレシピをよんで作る経験を。きっとぐっと大人度があがるきっかけになるはず!  しばふハウスにきれいな広いキッチンがあったら、そんなことを思いながら。

三尾 新

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