【おたよりコラム】楽しいは続く
私の記憶が正しければ小学校に入学した時、習い事はピアノだけだった。はじめは2つ上の姉だけやっているのがずるい、それができるときいてワクワク!そんな感覚だったと思う。最初のピアノの先生はすぐにペダルをふませてくれたり、作曲させてくれたりと楽しい!という感覚が強かったのだと思う。次に習い始めたのが、土日のサッカー。サッカーは幼稚園のサッカー教室に年長で通い始めたのが最初だったけれど、小学生になると、やる場所がなかった。地域のサッカークラブも周りの小学校にはあったけれど、まだ自分の通う小学校にはなかった。そこに母と友だちの家族とが一緒になって日限山FCという地域の少年サッカークラブをつくってくれたのだ。最初は4、5人の子どもとパパさんコーチとでスタートした。人も少なく、ドリブルやパスの練習ばかりだったけれど、すぐに大所帯となり各学年10人を超えるようなクラブになって、大会にも出るようになった。思いっきり身体を動かす気持ちのよさや相手と勝負する心地よさが子どもの私を魅了した。土日のサッカーはなにがあっても休まない!というぐらいに好きな習い事だった。ピアノ、サッカーとやり始めた後、どちらが先だったかわからないけれど、週1で習字とスイミングを習い始めた。習字は硬筆と毛筆をどちらもやる教室だった。習字はちょっと家から離れたところだったので、学校の友だちもいないし、他の習字教室に行っている友だちと話が全く合わなくて正直やらされている感があった。でも字を意識して書くということを知れたのはとても大きかったように思う。そして低学年の頃に始めたスイミングは、できるようになってワッペンがもらえるのが楽しかったし、大会にも出させてもらったりと、いい思い出が残っているけれど、行くのを渋っていたこともあったように思う。習字もスイミングも姉の方が上の級にいたり、褒められたりするのが、悔しかったのだと思う。習字は姉が辞めるタイミングで、スイミングは一通り泳げるようになって大会にでて、4年生ぐらいでやめてしまった。そのあたりからの放課後の記憶はというと、公園や学校で友だちと毎日のように身体を動かし砂まみれで遊んでいた記憶ばかりとなっている。4年生ぐらいで、自分からやってみたいといって習ったのが、体操教室。転校してきた友だちがバク転をしているのをみて、かっこいい、自分もやりたい!そんなシンプルな理由だった。まずは、夏休みの短期で様子を見てみよう、そんな母の考えだったのだろう。並んで待つ時間が多く、決められたことしかできないことに満足できなかったのか、どんどんやりたい私にとっては楽しめていなかった。短期の後に通い続けたい!とはならなかった。5年生になると、姉が中学受験をしたという流れもあり、私も塾に通うことになった。でも私自身は中学受験をしたいという思いはまったくなく、サッカーの強い環境でプレーすることが一番の想いだった。でも私にとって塾はとても楽しいところだった。難しい問題を解く楽しさ、明確に順位で人と競争して勝つ、ということが楽しかった。ただ、6年生になると受験クラスが土日にもあるようになり、私は親と話し合うこととなった。絶対にサッカーはやめないという想いに親も折れたのか、土日はサッカーにいける塾に変えることにした。ただ、これは親の手のひらの上だったのかも知れない。その塾はレベルが高かったのだ。周りのレベルが高いと負けず嫌いを発揮するという性格を見抜かれていた。結局、サッカーを続けつつ、土日も塾に通うようになった。とにかく時間を工夫しながらサッカーと塾と放課後の遊びに全てを注いでいた。ちなみにピアノは、ガチガチのクラシックの先生に代わってから姉は褒められる、私は何度もやり直し、という状況に苦しくなり受験を理由に辞めることに。面白いのはピアノは習うのをやめたら家で弾くようになり、中学で別の先生の元でまたピアノを習い始めている自分がいた。なんだかんだで感情を表現できるピアノが楽しかったのだと思う。 今回のコラムはただただ習い事を書いてみただけのコラムになってしまったけれど、書いていて思ったことが3つ。どんなにやりたいと思っても合わないことはある。友がいると楽しさは増すけれど、より深く学ぶには友だちがいない習い事はちょうど良かったのかも知れない。最初楽しいと思いをさせてもらえたものはずっと好きでいられる。 ちょうど習い事に悩む時期だと思います。asoneの良さもあるけれど、他の習い事や自由な時間を多く作ることの良さもあると思います。習い事での悩み、ひとりひとり答えが違うと思う。しっかりひとりひとりの今を見つめながら、声をかけていきたい。
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