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【おたよりコラム】あとから知ったこと

 「学校に行きたくない」そんな大きな波が私には2回あった。  1回目は小学3年生のとき、夜中に「学校に行きたくない」と泣き始めたり、心のバランスを崩し、夜おもらしをしたり、「死にたい」というようなことをいったりもしたのがこの時だった。どうも学校の担任の先生にいじめられていたらしい。らしい、というのは、私はまったくそのことを知らないからだ。正確にいうと、そもそも私は当時のことをなにも覚えていないのだ。自分がいじめられていたという事実を知ったのは、5年以上も経った中学3年生のころ。国語の課題だった『自分の歴史』という作文を書くときのこと。小学4年生以前のことが、なにも思い出せず、「自分、小学生のときなにしてた?なにも思い出せないんだよね」と母にきいたことで、自分自身にネガティブな過去があるということを知ることとなった。泣きながら当時のことを話してくれた母。自分の人生は順風満帆だと信じて疑ってこなかった私は、ネガティブな過去をどうしても受け入れられなかった。だんだんとそのことを受け入れ、人に話せるようになるまでには3、4年の年月がかかった。落ち着いて受け入れられるようになってわかったのは、母の苦労だった。学校に話に行くなども大変だったと思うが、そういったことより、どうしたらいいのかという大きな不安に私以上に悩まされていたのではないかと思えるようになった。  2回目の学校にいきたくないは高校3年生の夏過ぎ。同じサッカー部に所属していた友だちのお父さんが亡くなって1ヶ月後ぐらいのことだった。その日、大学入試に向けた全国模試を学校でうけた帰り道、その友だちと2人で歩いていた。ものすごく落胆していた様子に「どうしたの?」と尋ねると「名前と受験番号を書き忘れたかも」というのだ。「きっと大丈夫だよ~」と気楽に返した私に「いや、いい成績とって母を安心させてあげたかったんだよ」と返ってきた言葉にハッとした。その友だちにとってただのテストじゃなかったんだ、失敗したと思ったのを今でも覚えている。そしてその翌日の数学の授業、隣のクラスの担任でもあったその先生が「昨日のテスト、うちのクラスの〇〇がバカなことしてたんだよ~名前書いてなかったみたいで~」と笑い話として話し始めたのだ。その言葉に私の心の温度がすっとさがったような感覚になった。けれど、そこから怒りに変わったのは、その話をきいた私のクラスの成績優秀な面々が揃いも揃って笑っていたことにだった。事情をしっているサッカー部の生徒ですら笑っていたのだ。それを目の当たりにした私は、次の日学校にいこうと家を出たけれど、どうしても先生や同じクラスの人の顔をみたくなくなり、通り道の公園で1日を過ごした。結局そこから学校に行きたくないと思うようになり、サボるようになった。それまで、中高5年半無遅刻無欠席だった私ががらっと変わるほどの出来事だった。そのころは自分の考えも強く、なにか親にしてもらったという話ではないけれど、のちのち聞いた話がある。どうしたらよいかわからず母はものすごく不安だったようで、先輩ママたちに相談をしたりしていたと聞いた。私には「あなたがそう思うならそれでいい、ただ、行く場所だけは教えなさい」というような肝の座った母にみえていたので、驚きだった。  結局、1回目も2回目も学校自体を嫌いにならなかったのは、友だちのおかげだった。でもその時には気づけず、後になって知った母の抱えていた大きな不安や、何があっても私の味方でいてくれる、信じていてくれると思わせてくれたその偉大さのおかげで今があるといえる。そのときの母には頭が上がらないほど、感謝をしている。                                         三尾 新

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